ちょっとセピア気味の記念写真。良くこんなのを残してあったもんだと、自分で感心。
生まれて初めて”コンピューター”と出会ったのがこの地。その後の人生に決定的な影響を受ける事になった。
今から思い返しても、「なぜあんな境遇になったのだろう」と不思議である。
当時、世界一の”電波望遠鏡”を目指して開発に邁進していた東大の宇宙科学研究所と、その施工を一手に請け負った三菱電機は、長野県の野辺山地方にて、完成に向けて精力的に各々の作業に従事していた。
目指していたのが誰も体験していない未知の領域ゆえ、双方とも苦労の連続であった事は言うまでもない。
そんな中、三菱電機の下請け会社であった大日通信工業の、そのまた下請けの零細会社の工事要員として駆りだされた自分は大勢の作業者の中の一兵卒以下の存在のはずだった。
なにしろ30年前の事であり、何人動員されていたのか記憶は定かではないが、とにかく数十名の作業者が炎天下にすり鉢状のツルツルのパラボラアンテナ表面に”忍者靴”で張り付いてパネルを合わせていくという、気の遠くなるような組立作業で、連日汗みどろになって働いていた。
実に、パラボラアンテナ組み立てにはミリ単位以下の精度を要求されていたため、パネルを貼ってはやり直し、貼ってはやり直しの繰り返しで、一体いつになったら終わるのかと忍耐の日々であったらしい。
・・・とまぁ、それに関しては他人事であった。
それでは自分は何をしていたのかというと、”電波望遠鏡”の中で、オペレーターとしてコンピューターとアンテナ運転操作のアシスタントを務めていたのである。
毎日汗みどろの作業者たちとは別世界の、空調の効いた快適な操作室で、正に鼻歌交じりの気分で働いていた。
そんな業務についたのは、たったひとりである。なぜ自分が選ばれたのか、今でも不思議(幸運)としかいいようがない。
毎朝、保管庫からオープンリールテープを持ちだして、”IPL”を操作するのが最初の日課であった。
今でも忘れない三文字。”Initial Program Load”。平たく云えばコンピューターの起動操作である。
テープをセットして、カンタンなコマンドをキーボードから入力して正常に起動する事を確認すればOK。
でもま、コンピューターの操作といっても実はそれだけ。( ´ー`)
その後は、プログラムされたスケジュールに従って、終日電波望遠鏡の運転操作をしていた。
合間に、東大教授連や技術者のちょっとしたアシスタント業務もあったが具体的な内容はすっかり忘却。
今から思い返しても、余りにラク過ぎて、「ホントにこんなんでいいのかなぁ・・・」と不安になるほどであった。
しかし、肝心なハナシはこの後である。以下、次号につづく。
コメント
コメント一覧 (4件)
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こんばんわ(^^)
1982年ですか昭和57年ですね。
東芝パソピアなんてのが発売された時期でしょうか
フロッピーディスクが別売で250k円もした時代ですね。
僕も池釣り(ゲンゴロウ鮒)に燃えてた時代です。(^^)v
なんか話題が続編シリースなので、楽しみです。
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パソピアはまでですね。
PC-8001も存在していない時期です。
「わたしとコンピューター」は長期連載シリーズになる予定です。( ´ー`)
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余計なことですが、8001は既に存在していたと思います。
PC9801が確か82年に発売されたような・・・
ついでに言うとパソピアも初代は81年みたいです。^^;
これは調べました。(汗)
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うげっ。し、調べましたところ、1979年発売みたいです。
おたけさん、すみません。テキトーな記憶で断定的に書いてしまって。
あぁ、本文記事でなくて良かった。
指摘されなかったら、そのまんま書いてたと思います。
ありがとうございました。ご両名さま。(;`ー´)