ワードプロセッサもどきのソフトにもBASICプログラミングにも愛想をつかした後は、懸念していた通り”X1″はテレビ付きゲームマシンに成り下がってしまった。
しばらく経って、更に性能を向上させた”X1ターボ”シリーズが発売された時には、既に”X1″そのものに対する興味が失せてしまっていた。
“X1″はアーケードゲームにも勝るとも劣らないほど、TVゲームマシンとしては素晴らしい性能だったのでそれなりにオモチャとしては楽しめたのだが、自分の信条としてそもそもゲーム自体を避けていたため、電源を入れる機会はどんどん減っていった。
「避けていた」理由は、TVゲームが嫌いなのではなく、”はまりやすい”性格を自覚していたからである。「ゲームのために大金を投じてパソコンに向き合っているのではない」との自制が常に働いていて、実用品になりえない事が明確になった”X1″との決別は時間の問題であった。そしてまたしばらく雌伏の時が流れ・・・
既にビジネス用途のパソコンが電機メーカー各社から出揃っていた。当時の最大の情報源は「月刊コンピュータ/ソフト情報」という雑誌で、ホビーやオモチャではなくあくまで実用品としての観点から編集されたハードウェアとソフトウェアの硬派な記事が満載で、毎月発売日を首を長くして待っていた。
どの記事も新鮮で面白かったが、特にソフトウェア製品に関する評価記事が秀逸であった。
「月刊ソフト情報」はどの記事も「良いものは良い。悪いものは悪い」と歯に衣着せずクールに書かれていた。
とりわけ興味深かったのがソフト評価記事と「コピープロテクト論争」。前者については「日本語ワードプロセッサ”松”」の存在とその価値を知る事が出来たのが最大の収穫となった。
後者についてはグレーな問題を含んでいるので、ここでくどくどと書き連ねる事は控えておく。ソフトメーカーとしての正論を管理工学研究所が堂々と主張していた事は有名なので、もし興味があれば各自で調べてもらいたい。
まぁ、そんな内容の雑誌だったので、メーカー等の広告はほとんどなく(ゼロ?)、非常に薄い雑誌であった。
※もちろん、”薄い”のは紙数の事であり、記事の中身は飛び抜けて濃い内容であった事は云うまでもない。
パソコンを扱った雑誌は多数出版されていたが、ほとんどが”オタク用”またはメーカーの提灯持ち記事しかないカタログ雑誌的内容に過ぎず、文字通りユーザー視点の「ソフト情報」だけが頼りであった。
長い間全号保管してあったのが、もう読み返すことはあるまいと、他の書籍とともに処分してしまったのが残念。
さて。当時勤務していた会社の社長が新しもの好きであり、”そろそろパソコンを買おうか”と言い出したのはとにかくラッキーであった。社員の中でパソコンに詳しい(もちろんあくまで当社比)のは自分だけだったので、製品の選定を任されたのである。自分用の新機種もソフトも長期に渡る情報収集によって既に決めていたが、自費で購入する決意がつかないでいた頃に最高のタイミングであった。この機会を逃してなるものか !! ヾ(o´∀`o)ノ
社長の気が変わらない内にと、翌日には現金60万円とともに日本橋にクルマで出かけて購入し、その日中に事務所に持ち込んでいた。購入した製品名は「PC-9801F2」と「松86」。もちろんカラーモニタも。
数日後には当時珍しかった熱転写式24ドット漢字プリンタ「LPR-24T」も購入。
今から思い返しても、たかがワープロ一式に70万円もの大金を投じた事になるが、当時としてはそれでもリーズナブルな金額なのであった。もちろん業務利用としての必然性があった事はいうまでもない。
ようやく本格的なスタートラインに立つ事が出来たと、わくわくの毎日が始まった。ヽ(゚∀゚)
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