転職すべきか否かで悩んでいる中で、”dBASEⅡ”は既に”dBASEⅢ”にバージョンアップしており、その圧倒的に進化した使い勝手の良さに感動してすぐさま切り替えていた。大きな声ではいえない理由によって、相変わらず後ろめたい思いを抱えつつ・・・
そして、ついに新天地である「A社」に移り、様々な予想外の事態に困惑と苦労の毎日が始まった。
ただし、新しい職場でシステム関連の予算が自由に使えるようになる事は約束されていたので、いよいよこのバカ高い価格の製品の正規ユーザーになれると希望に胸を膨らませていた。
A社の役員からは、社内外の管理業務の実務に加えて、三和無線で作っていたオモチャのような自己満足アプリケーションではない本格的な基幹業務システムづくりを期待されていた。もちろんゼロから・・・
当時も今も、どこの小規模企業も同じであるが、やはり A社も全ての業務が手書きであり、天井知らずの上り調子であった業績に比例し、その事務作業量たるや入社時に既に三和無線の十倍以上あった。
二名いた女子事務社員は、請求書や給与・買掛金支払い等の締め日には、お決まりの悲惨な残業を嘆いていた。
期待の強力新人は、高給で迎えられたという自負と使命感もあり、希望と懐疑的視線が半ばする先輩社員に対し「残業は三ヶ月か遅くても半年以内になくせるよ」と大見得を切り、システム作りの猛勉強を再開した。もちろんキラーアプリは”dBASEⅢ”になる、はずだった。
“dBASE”関連の参考書は豊富に出回っていたが、本格的な業務システムを手がけるには情報がまったく足りず、周囲に相談や指導を受けられるような存在もなく、内心相当な焦りがあった事も間違いない。
もし成果が出なければ、せっかくの新天地での自分の存在価値が一気に低下してしまうのである。必死だった。
そして、当時隆盛を極めつつあったバソコン通信のひとつであった“日経MIX”に目をつけた。
“日経MIX”は、”パソコン通信”の場のひとつ。その名の通り日本経済新聞社の主催であった。
“草の根BBS”という呼称に象徴されるように、”掲示板”の数こそ膨大に発生していたが、パソコン通信は文字通りの玉石混交状態。自分にとってはかなり胡散臭く、現在の”ツーちゃんねる”のイメージしかなかった。
そんな中で”日経MIX”は、完全に別格であった。入会者は限定されており、書き込み内容の管理も厳格で、”便所の落書き”的な下らないものに遭遇する心配はなかった。当然ながら入会手続きもちょっと面倒だったが。
しかし逆に云えば、自分のような素人SEにとってはそこで飛び交っている議論の内容がかなりハードルが高く、結局一度も書き込み出来ずじまいであった。
たしか個々の掲示板は”会議室”と呼ばれていて、入会後最初に覗いてみたのは、”dBASE”ではなく”K3/matsu”だった。いきなりデータベース関連の会議室に行ってもおそらく理解出来ないだろうという先入観があったためである。
とりあえずはとっつきやすい分野からと考え、ずっと愛用していたワープロソフト”松”の会議室なら入って行きやすいかもと考えたのである。しかし、そこはやはり「一見さんお断り」の雰囲気に満ち満ちていた。とはいえ、もちろん知性も良識も備えた参加者たちがそんなバカな考えをしていたのではなくて、一介のシロートが気軽に割って入っていくには、やり取りされている内容があまりに高度であると自分自身が勝手に気後れしたのだ。
今から思い返しても、何しろそこにいたのは、管理工学研究所の名物社員であった「k16・show」氏を始めメガソフトの社長であった前坂氏や、今も PCWatch に連載記事を持っている西川和久氏や名前は忘れたが国文学専門の大学教授のような個性的かつ高度な知識を持った面々ばかりなのであった。あ、たしか un_chan もいたな・・・
単なる世間話的な内容であっても、とてもシロートが口を挟めるようなレベルではなかったのである。
少なくとも自分ではそう感じていて、夜な夜な出かけるも、ただただドアの隙間からおっかなびっくりで耳を澄ませているだけというような状態だった。
ところで。当時も今も、会議室に実名で参加する人はごく少数派で、皆それぞれに好き勝手なハンドル名(芸名/ニックネーム)を名乗っていた。中でも一風変わったハンドル名を名乗り、いつもしゃれたセンスが感じられる書き込みをしていた”Rose.C”氏には特に興味を惹かれていた。
その発言内容も他のメンバーに勝るとも劣らないレベルの割に構えたところが微塵もなく、とても分かりやすく、正しく肩の力を抜いたという感じで好感が持てた唯一のメンバーであった。
「こんな人と友達になれたらいいなぁ。でもとても自分にはムリ。」と勝手にびびっていた。
今となってはどうだったか定かではないが、同じく管理工学研究所の製品である「桐」に関する話題もかなり出ていたというおぼろげな記憶もはっきりとある。<– 「何じゃそれは!?」という実にいい加減な表現だが、まぁそんな感じ。
“K3/kiri”という会議室があったような記憶も残っている。つまり”K3/matu”とは別に存在していたのかも。
要するに、”K3″会議室を覗いているうちに「桐」というちょっと変わった優れたデータベースソフトが管理工学研究所から出ているという事実がどんどん自分の中に浸透していったのである。
ずっと”データベースおたく”状態だったので「桐」の存在はもちろん知っていたが、”Presse”の亜流のようなイメージで、いまひとつ食指が動かないでいたのだ。
慣れとは恐ろしいもの。そうこうしている内に、いっちょ試してみようかという気になり始め、例の方法によって、”桐Ver.2″にトライしてみた。そして驚嘆した。”眼から鱗”などというものではなかった。
コメント
コメント一覧 (4件)
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かなり昔のことですので、その記憶自体がとても曖昧なものですが、mixにはそんな沢山のMSGは残さなかったような記憶があります。
MIXもVANも長らくROMでしたが、VANの方がデビューは早かったように思います。
MIXには掲示板で44番さんに名指しで「隠れてみてないで出て来なさい!」と言わ(書か)れ、仕方なくご挨拶させていただいたのが最初だったような・・・^^;
当初はmatsuの方にも桐の話題が上がりましたが、kiriのボードが出来てからは桐の話題はそちらでしたね。
しかし、VANにK3UGのPC-VAN分科会?が出来てからは、mixの桐ボードは寂しくなったような憶えもあります。mixでもvanでも活躍していた、ksumiさんが、VANのシグオペになったことも関係があるかも・・・
あとmixが東京、VANが大阪(関西)支部っていう色分けもあったような記憶も残ってます。
VANで活躍していたksumiさんや片山さんが関西だったので・・・^^;
それにしても懐かしですね。
ちなみにワタシもお友達になれて嬉しいです。^^)v
しかし、どんだけカタログ残っているのでしょうか?(笑)
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おいおいおい、ネタバレが早すぎるって・・・
ちょっとずつ小出しにする予定だったのに。(;`ー´)
そういえば、44番さんもいたな。実は本業の方の同業者で、そこから当社にスピンアウトして来たのが極めつけの不良社員だったなんて事が後で分かったとか。面白いね。
出番を待ってるカタログ、まだまだ出すよ。ヽ(・∀・ )ノ
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BMW E46 関連ネタでこちらのサイトを拝見したのですが、管理工学や日経MIXの話題があって驚きました。ログイン画面が懐かしい。日経MIXのシステム(Cosy)を開発したカナダのグエルフ大学を訪問する機会がありましたが、グエルフ大学における学生生活を知るには以下のサイトが面白いです。
http://habiptyvv.exblog.jp/
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コメントありがとうございます。
旧い記事へのコメントをいただき、こちらも少し驚きました。
グェルフ大学ですか。全然知りませんでした。
というより、外国の大学名なんてほとんど知らないですが。(;`ー´)
ご紹介のサイトではリアルな学生生活がとても興味深くて拝見しました。
ふだんは、この種のブログはまず見ないもんですから・・・
若くて向学心のある若者は本当に魅力的ですね。
またお気軽にコメントいただけたら幸いです。