新天地となった A社では、宣言通り三ヶ月弱で事務系(経理業務)の残業を根絶させる事が出来た。
半信半疑であった先輩事務社員や経営陣の、自分を見る目が明らかに変わり、一目も二目も置かれるようになった。
最初に大風呂敷を広げたものの、内心気が気でなかったが、それを可能にしてくれたのが”桐”との出会いだった。
“dBASEⅢ”では、というより他のどんなソフトウエア製品を使っても出来なかっただろうと今でも思う。
それでは、データベースソフトではなく、”MultiPlan”なら同じ事が出来たかというとそれも「No」。
入社後しばらくは業務への慣れに要する時間と、”dBASEⅢ”でシステムづくりの準備をしていたという事もあり、実際に”桐”での実務処理に費やした時間としては、二週間もかけていない。それまでは「要件定義」の期間。
何をすべきかが見えてきた時点から、全速力で当面の目標に到達する事が出来たのである。
当時から「高度なデータ処理がワープロ並みのカンタンな操作で可能」などという類の宣伝文句はほぼすべてのデータベース製品が謳っていたが、本当にこれを実現していたのは”桐”だけであった。「これしかない」と確信。
以後、”桐V2″の末期から”桐Ver.5″まで、約8年間という長い期間にわたって”桐”との蜜月が続くことになる。
そして、”桐”との別れも唐突にやって来るのだが、それについてはおいおい綴っていく。
とはいえ、いくら”桐”の機能が優れているからといって、手品のように素人の身でそんな短期でちゃんとした「システム」が出来上がるはずもない。成功の理由は、必要最小限の作業項目のみを対象とした事であった。
何しろ時間が限られているのだから、聞き取りと観察・業務の分析によって事務作業の中で本当に今すぐ必要な項目のみを絞り込み、「選択と集中」によってコアな部分のみを半自動化したのである。
“半”自動化とは、”桐”を操作するのが自分自身にしか出来ないという状況である。他のユーザー(社員)にも説明なしで使えるような「システム」とするには、やはり多大な努力と時間が必要であろう事は認識していた。
ただ、実際には事務社員は”桐”の基本操作(会話処理)はすぐに覚えてくれたので、後は自動化する部分を少しずつ増やしていけば良いというわけで、余裕を持って業務改善を進める事が出来たのだが、いくら効率が良いとはいえ、やはり”システムづくり”は甘くはない。”一括処理”の習得にも時間がかかる事は覚悟しなければならなかった。
“酒井本”にも、一括処理による業務システム構築までも懇切丁寧な解説があったわけでなく、というか 1冊の単行本にそんな内容を網羅できるはずもなく、それはないものねだりに過ぎない。
他に頼れるものはやはり書店にしかなかった。しかし、”桐”を扱った市販の参考書籍はいくつか出ていたが、お決まりの内容の入門書レベルのものばかりでかえってストレスが溜まるばかりであった。
そんな中、自分にとっても生涯忘れられない、今はなき「エーアイ出版」の月刊誌であった「98magazine」だけが唯一例外的に実用的な解説シリーズを掲載してくれていて使いこなしのヒントも少なからず得る事が出来た。
ただし、やはり自ずと不特定多数の読者を想定したものであり、自分の懸案事項に関してタイムリーに役立つというには程遠い内容である事に変わりはなかった。
情報を渇望しつつあったその頃、富士通が主催者である”Nifty-Serve”の存在を知った。調べてみると、何と”桐”の会議室があるらしい事が分かった。(゚∀゚)
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