ここ数日間『DBPro』(の会議室)にすっかりハマってしまっていた。
実を言うと、”わたしとコンピュータ”シリーズでも『DBPro』について書く予定はなかった。
その理由は、単行本執筆(共著)以外で関わった記憶があまりなく、印象も極めて薄かったので、何か書きたいという気もしなかったためである。
ところがである。ひょんな事から古い友人に『DBPro』のニフティ会議室ログをいただいて、ちょっと覗いてみたら、ぐいぐい引き込まれて病みつきになってしまったわけ。つまり「けっこう入れ込んでた事が分かった」(;`ー´)
これまたテキストファイルで 36,000行もあり、読破するのに膨大な時間を費やしてしまったのだが、ようやく読了。
「桐たんす」や「桐ごみ箱」はななめ読みしていたのに、なぜ『DBPro』だけななめ読みが出来なかったのか。
理由はカンタン。相変わらず自分がミーハーだから。何しろ今回は立派なカギ括弧付きや。( ´ー`)
『DBPro』は、自分のコンピュータ人生の中でもちょっと異色、というより”異端”の存在なのである。
“桐”と同様、ニフティ内に専用会議室が開設され、社員が実名で参加していた。一般ユーザーにとって、製品の開発技術者と直接コミニュケーションが実現するというのは望外の(←この表現好きやなぁ・・・)喜びだった。
とにもかくにも、当時の名物プログラマーであった”k16″氏や”中村正三郎”氏が気まぐれにとはいえ、回答やアドバイスのコメントを付けてくれるのだから。さすがに社長は登場しなかったが・・・
何よりも、直接対話する事で、自分たちの要望希望が(運が良ければ)製品に反映されるという喜びもあった。
『DBPro』は、「ソフトヴィジョン」社より1992年末から発売されていたデータベースソフトウエア製品。
という紹介をしたって、”桐”関係者以外にはまったく理解出来ないだろうが、それなら”桐”だって同じだろうし、今さら製品自体についてくどくど説明する気はない。
・・・といいつつ、少しだけ。( ´ー`)
当時は、”Microsoft Windows”の台頭により、長らく続いた”NEC PC-9800″シリーズによる我が国のパソコン支配(暗黒時代)がようやく終焉を迎えようとしていた時期で、一般ユーザーにとっては希望にあふれた新時代の到来。
誰もが目前に迫った”Windows”時代を予感し、わくわくしていた。「K3(管理工学研究所)」以外は・・・
おそらくは、”桐”を愛好するユーザーのほとんどは”Windows”で”桐”を利用出来るようになる事を期待していた。
“Windows 3.1″によって、PC環境が”MS-DOS”から劇的に変わる事を確信していたためである。
しかし、待てど暮らせど「管理工学研究所」からは何のアナウンスもなく、しびれを切らした”桐”ユーザーの多くが『DBPro』に心変わりし、仕様の違いに一喜一憂しつつ移行を試みていたのである。
『DBPro』は事実上、”桐 for Windows”だったので、スムーズに移行するのにうってつけだった。
「ここまで似ていて良く”K3″から訴えられないもんや」と心配になるほど酷似していた。だが”K3″は大人だった。
「ソフトヴィジョン」は「管理工学研究所」の社員が飛び出して設立した会社であり、その社長は”桐”の生みの親である”酒井俊夫”氏なのであった。以前に記事にした事のあるお宝書物の著者である。すなわち『DBPro』は、”Windows”に乗るために生まれ変わり、進化した”桐”というわけ。
両社の間に資本関係はなく、従って子会社でも分家でもなく完全な別会社。”K3″内で”Windows”に舵を切るか否かで大論争の末にたもとを分かったというのが経緯であろうと思われる。← これ、無責任なライター言葉 (^。^;
独立にあたり、様々な紆余曲折や苦労があったであろう事は容易に想像出来るが、それを象徴するのが、『DBPro』のベンダーが当初は「ソフトヴィジョン」ではなく、何と「新日鐵」だったのである。
ハードウェアそのもののメーカーである「新日鐵」が、多角経営の一環としてソフトウエア販売に乗り出すに当たり、「ソフトヴィジョン」に白羽の矢を当ててスポンサーになったわけである。
・・・のであったのではないかと思われる。ここはゲスのの勘ぐりに過ぎませんので。(;`ー´)
うまく移行出来たユーザー、諦めて”桐”に戻ったユーザー、その他の製品に移行したユーザー、さまざまである。
本家の”桐”は、何時まで経っても”DOS窓”という小さな世界から抜け出せない情けない存在になっていた。
さて。自分としては完全に見切りをつけた”桐”の焼き直しである『DBPro』にはほとんど関心がなかったし、触ってみる気もしなかった。もちろん製品も購入していない。関心の対象はまったく別のものに移っていた。
風向きが変わったのは、前回の記事で紹介した「初めての単行本」のためである。もう”桐”にもその同類にも関わりたくなかったが、共著とはいえ、製品を知らずして原稿が書けるわけがない。
とにかくライターデビューという千載一遇の好機のため、嫌々ながら『DBPro V2』に取り組んだ。
その作業は苦痛以外の何物でもなかったが「単行本の著者になれる」という望外の喜びがそれを打ち消してくれた。
以下、次号。(^。^)
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