今はなき「エーアイ出版」は、自分にとって特別な存在だった。PCライターになるなら、自分の”作品”は「エーアイ出版」から出せればいいんだけどなぁ、と漠然とした希望をずっと抱いていた。
1994年当時は、”Windows 3.1″の普及が加速しつつあり、格段の進化を遂げた”Windows95″登場への期待がいやがうえにも高まっていた。”パソコン”もフツーの言葉として一般的に認知されるようになっていた。
長い間、少なくとも個人ユースでは、事実上”NEC”一社に牛耳られていた日本のパソコン界もようやく自由化の時代を迎え、最新のテクノロジーの恩恵を誰もが適切な価格水準で手に入れる事が出来るようになっていた。
その流れに伴い、パソコン関連の雑誌や参考書も定期・季刊・不定期を含め膨大な量が出版されていた。
その中で、月刊誌”98マガジン”を刊行していた「エーアイ出版」だけがなぜ自分にとって特別な存在だったのか。
マニアックな”The Basic”の「技術評論社」や、総花的な”アスキー”や、提灯記事満載の”Oh!”シリーズの「ソフトバンク」等が百花繚乱の中で、”98マガジン”は最もバランスのとれた情報誌だと評価していたのである。
誌名の通り、”NEC PC98″シリーズ関連の記事に特化していたにもかかわらず、同種の雑誌と比べてメーカーの宣伝臭がそれほど感じられず、何よりも”管理工学研究所”のソフトウエア製品である”松”と”桐”の実践的な活用法記事を積極的に掲載し、単行本の出版も精力的に続けていた唯一の月刊誌だった。
表紙や紙面のレイアウトなども垢抜けて洗練されていると感じていた。
まぁ、この”Access 2.0 データベース作成のコツ”については、意図が良く分からないものではあったが、これはその他のソフトウエア製品の解説書である”コツ”シリーズで統一されていたデザインである、とだけ記しておく。
佐田守弘先生は、エーアイ出版から多数の記事や単行本を執筆されていて、そのどれもが、先生の代表作であった”コンプリートガイド”シリーズと呼ばれる通りの名に恥じない完璧な内容であった。無条件で尊敬していた。
そんな雲の上の大先輩から共著の誘いを受ければ、あまりの光栄に直立不動で最敬礼・・・とはならなかった。
ニフティのオフライン宴会のおかげで、佐田先生の人柄をある程度知る事が出来ていたのと、”Access”に関しては完全に主従逆転となる事が明白だったためである。
エーアイ出版から、「今後は”Access”しか扱わない。」とのプレッシャーをかけられていた事も知っていた。
お誘いに二つ返事で応諾して、電話で簡単な打ち合わせをしたのだが、まったく予想通りの内容だった。佐田先生が”入門編”、こちらが応用編とサンプルプログラムの作成。
原稿のボリュームは半々。「で、印税の比率は ?」と、さすがにその当時は質問する事を控えた、などとつまらぬ遠慮は抜きにしてストレートに聞いてみると「6対4」との答えであった。もちろん佐田先生が6。
※明確な記憶はないが、「5対5」でも「7対3」でもなかったのはたしかなので、消去法で「6対4」のはず・・・
自分としては、カネの事はほとんど問題にしていなかったので、即答でOKした。「エーアイ出版」から出せるのだし、とにもかくにも”Access”の原稿が書きたくてたまらなかったのである。
方針が決まれば後は書くだけ、と怒涛のように原稿を量産開始。同時に、案の定センセイとは毎日のように基本知識についての質疑応答が始まった。もちろん答えるのはこっちや。( ´ー`)
どんな経緯であれ、誘ってもらった恩義は間違いなくあるのだ。可能な限り懇切丁寧に解説を続けた。
・・・といったって、こっちだって半人前だったのだから、今だからいえる笑い話ではある。
少し経って、センセイからうれしいお話があった。「エーアイ出版が我々に懇親会を開いてくれる事になった。」
飛び上がるほど嬉しかったので、快諾してその週の週末夕刻に、東京にあるエーアイ出版社を訪問した。
イメージしていた通り、立派なビルの数フロアを専有し、良く整理整頓された素晴らしいオフィスの見学をさせてもらい、担当編集者の紹介ももちろんあり、いかにも”キャリアウーマン”というイメージの田中さん他一名。
田中さんからは、事前に提出してあったサンプルプログラムについても非常に高い評価を受けた。
話の途中で、わざわざ階下に降りて来られた社長からも紳士的な激励をされた事にも感銘を受けた。
「おぉ、期待されてるのだ!!」ちょっと、足元がふわふわするような高揚した気分であった。
その後、センセイとともに、エーアイ出版から担当者二名によって接待していただくのでオフィスを後にした。
タクシーに四名で乗り込み、都内の高級イタリアンレストランでコース料理をいただく事になった。
ふだん居酒屋やラーメン屋などしか経験のない、緊張する自分に田中さんはうまく話題をリードしてくれた。
とても知的でカッコよく、気配りの出来る素敵な女性だった。たぶん30代半ばの感じ。
ビールとワインでほろ酔いの良い気分で「この人独身なのかなぁ・・・」などとぼんやりと考えていたら・・・
次第に田中さんが会話の途中から眉をひそめる回数が多くなっていった。
その原因は佐田センセイだった。タクシー車内からレストランの席に着くまでずっと饒舌で、アルコールが体内に入ってからは一段とボルテージが上がり、ついにはワインについてのウンチクが延々と開始された。
その場の誰もセンセイのお話に関心を持っていない事にまるで気づかず、独演会が続いた。もちろん自分もイヤだったが止める事は出来なかった。編集社員二名もしぶしぶながら相槌をうっていた。
入店後、たぶん一時間ほど経った頃だった。際限なく続くセンセイのうんちく話はとどまることを知らず、ついに田中女史からストップがかかった。
「佐田さん、もういい加減にして下さい。私たちはそんな話をするために来たのではないのです。」
強烈なストレートパンチだった。センセイは別人のようにおとなしくなり、その後少しして退店し、解散した。
別れ際には、田中さんは何事もなかったように笑顔で「これからもよろしくお願いします。」と挨拶してくれた。
いやぁ、こうゆうのを今風には”男前”というんでしょうな。
センセイは、おそらく自分を二次会に誘いたかったはずだが、そのような雰囲気にはならず完全に散開した。
とにかく、素晴らしく有意義な体験だった。(^。^)
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