国民をなめている(としか思えない)裸の王様へ

自分だけでなくおそらく多くの国民感情を簡潔に(でもないか)代弁してくれた記事。
※2020年5月31日付け中國新聞のコラム””天風録”より


ちょっと毛色の違う辞典を古書店で見つけた。
四半世紀前に出た、東京堂出版の「あいまい語辞典」。【感じ】という項目にこんな例文がある。
「ここの責任者という感じでやってもらいたい」。
権限のある責任者なのか、気分だけの名ばかりか。これでは分からない。物言いをぼかし、当たりをやわらげるのは一つの知恵だろう。理詰めでは、時に抜き差しならなくなる。といっても、逃げ口上が一番許されぬ為政者の口から聞きたくはない。
安倍晋三首相は「スピード感を持って」と好んで使う。事実はどうあれ、素早い印象さえ振りまければよし、とでも言いたいのだろう。待てど暮らせど届かぬ例のマスクも、問題は「スピード」がないことなのに。
「責任は私にある」も決まり文句らしい。口先だけで行動が伴わない。森友学園がらみの公文書改ざんを強いられ、命を絶った財務省職員の手記が公になった時も、賭けマージャンで前の東京高検検事長が辞めた時も。これも「責任を感じている」感の演出だろう。
はぐらかしていれば、そのうち世間は忘れる…と高をくくっているのかもしれない。

責任は取るものだと悟らせるのは、票を持つ世間の責任である。

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