「これで良かったのかもしれない」「いや、これで良かったに違いない」としみじみと思う今日この頃。
“DSC-RX100″。自分がカメラに求めていたのは、きっとこれだったのだ。
2年前にこの”RX100″が出ていれば、その品質に完全に満足し、カメラや写真テクそのものに興味を持つには至らなかったかもしれない。というより、きっとそうなっていただろう。
しかし、当時は”RX100″は存在していなかった。代わりに”NEX-5″があった。
(“RX100″は、”NEX”シリーズの成功があったからこそ生まれたのかもしれないのだが)
「ブログに載せる写真をもっとキレイに撮れないものか」と、長年愛用して来た”IXY 900IS”に限界を感じて来ていた頃に、ひょんな事から”NEX-5″の存在を知り、大して深く考えずに飛びついた。そして驚嘆した。「別世界や・・・」
「今よりキレイな写真が撮れればOK」程度の期待であった。しかし、あまりといえばあまりにも違った、その画質の格差。一気にプロ級のツールが手に入ったような錯覚を起こすほどに、その衝撃は大きかった。
当時は、センサーサイズが根本的に画質ランクを決定するのだという基本的事実さえ知らなかったのである。
カメラと写真撮影についてある程度の基本的知識を得た今となっても、たかだか日常のスナップやブログ用のネタ程度に過ぎない自分の用途では、きっと”RX100″一台あれば何の不足もなかったであろうと思う。
しかし、それはあくまでも仮定であり過去形である。昨年の夏に、これまたひょんな事から写真の師匠に出会わなければ、写真そのものの素晴らしさや奥の深さも理解しないままだったかもしれない。
そして、SUNTORYの”ほろよいサワー”をちびちびと呑みながら、あの時その事に気づいた自分もちょっとエラいのではないかと自己満足に浸っているのであった。
*** 蛇足 ***
「今さらファインダーのないカメラを買う気はしない」とうそぶきつつ、”RX1″が気になって仕方がないこの頃・・・
コメント
コメント一覧 (4件)
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真面目に写真を撮り始めて約5年。
恥ずかしながら、ファインダーでなければ撮れない写真があることを先日、初めて知りました。
なんていいうのでしょう。理屈じゃなくそのライブ感とでもいうのでしょか。
ライブを大画面のハイジジョンで見るのと会場で生で見るのの違いと言ってもいいかもしれません。
間にフィルターがなければ無いほど写す「真」に近づける気がしました。
この感覚、いつかあるさんにも知ってもらいたい今日この頃であります。
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師匠と張り合おうかという野望はとっくに消え去って、
ありきたりな凡庸なスナップばっかりに戻ってしまってる自分に、
ちょっと忸怩たる思いもある今日この頃です。
2行目に書かれてる事は、まだ理解できてません。(^。^;
う~ん。"ライブ感"ですね。分かるような分からないような。
まだまだ時間がかかると思います。ぼちぼち牛歩のペースでいきそうです。
それにしても、"血絵さん"ってのはシャレになってないような・・・
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ん?"血絵さん"?
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あ、そうか。
くりまん師は書いた記事を読み返さない性格だったのを忘れてた。
だいいち、よそでの出来事を書くのはマナー違反ですよね。(^_^;)
コメントしときます。