「桐たんす」後期は桐を見限る方向になっていて、自然とアクティブメンバーでなくなっていた。
その原因のひとつが「LAN対応」だった。Windows3.1 の急速な普及のおかげで PCの価格が劇的に下がり、2台しかなかった職場にもどんどん増殖しつつあった。
しかし、”桐”の開発元である管理工学研究所は”Windows”を軽く見ていた(※)ため、ついにデスクトップデータベースの王者の座から凋落するという運命が(ユーザーからは)目に見えていた。
(※)あくまで一ユーザーの見解である。K3/管理工学研究所ほどの会社が技術力不足が原因で”Windows”対応版が出来なかった、などとは「桐たんす」内のユーザーは誰も考えていなかった。
※写真は本文とは関係ありません(;`ー´)
NECの寡占状態がたちまち終焉を迎え、本体とモニタだけで50万円近くしていたものが、10万円台になるという価格破壊が起きていた。”自由競争”の恩恵である。
“PC98″によって、PCの世界が NEC 1社に牛耳られていた時期にはあり得ない進歩だった。
NECも必死の抵抗を試みていたが”Windows 95″でとどめを刺される事になった。
そして、2台しかなかったPCが4台・5台と増えるに従って「つながっていない」事が非常に問題になり始めた。
今はどんな情報機器でも「つながって当然」だが、当時はそうはいかなかった。
当時はPC同士を接続するためには、選択肢は事実上ひとつしかなく、しかもそのためのハードもソフトも目玉が飛び出るほど高価で設定も難解な”ネットワークOS(Netware)”だった。その上専任技術者の養成までもが必須とされていて、到底小規模企業のレベルでは検討の対象にさえならなかった。これまた”独占”の弊害だった。
当社のような小規模企業ではとても手を出せないので、その廉価版である”Lite”に頼るしかなかったが、これが曲者などという生易しいものではなく、文字通り「安かろう悪かろう」という詐欺のような商品だった。
果敢に取り組んだが、ほぼ半年間悪戦苦闘したあげく使用を断念するという情けない結末となってしまった。
この経緯を「桐ごみ箱」に”蘭栽培日記”として連載し、かなり好評を博した。と勝手に自己満足。( ´ー`)
※これも一ユーザーの独断と偏見ではある。他社の例だがそれなりに安定稼働させていた報告もあったので。
しかし、ネットワーク機能を標準搭載した”MicroSoft Windows95″の登場によって、PCは苦もなく「つながる」ようになり、寡占状態を謳歌していた”Novell”社も瞬く間に斜陽の坂道を転がり落ちる運命となった。
“Lite”で、恨み骨髄であった自分としては、この時ばかりは”MicroSoft”に喝采し感謝した。ありがとう。
・・・そんなキレイな話で終わるわけはなく、今度は”MicroSoft”のOS独占による弊害が糾弾されるようになる。
それにしても「驕れる者久しからず」の格言がここに登場する三社にも見事に当てはまるのだな。( ´ー`)
あ、K3は例外ね。やはり愛着のある会社なので。(^。^;
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